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Imagine ALL the people …weak people [患者としてつぶやいてみる]

子供達、お年寄り、そしてなんらか障害を持つ人々。「災害弱者」と呼ばれる人々。 私も病気を抱えている身ですから、その中の一人かもしれません。地震の後数日後に人工透析をうけることができずに、何人かの方がなくなったと、ききました。被災地では薬が足りなくなったとききました。そのようなニュースのひとつひとつが、とても辛い。しかも、それがどこまで報じられているのか。そういう人々の声がどこまで、一般に届いているのか。
自分がその状況におかれたらと、考えると…。

計画停電という話がでてきました。そして、電気を使う医療機器、人工呼吸器などを使用している人達がこの停電をどのように感じているかと考えると、これも本当に辛かったです。
確かに、停電ということは、特に震災がなくても、想定しなくてはいけないわけで、大切な医療機器には、備えがなされているだろうと考えてはみたものの、その患者さん自身、そして家族の方の不安な思いを想像すると、唇を噛むことしか出来ませんでした。

確かに生き物の世界、障害があったり、病気で弱ってしまった場合、それは生きていく上での決定的ハンデなわけで、よく野生の生き物を扱ったテレビなんかでも、弱いものが食べられていく様子が「これが、野生の世界なのです」と映し出されるわけですが。

でも、人間は「ひとつになろう日本」とか、「共に生きていく」とかって、美味しい言葉をテレビでは、たれ流しています。それが、本当なら、不自由なことを、不自由な人は声を上げて理解を求めないとと感じています。

節電のため、エスカレーターとエレベーター、どちらかのみ運転というのが今の東京での駅の現状です。さて、どちらが動いているのか、エスカレーターが動いていなければ、エレベーターはどこなのか?あまり親切な案内のある駅はありません。杖を使っている方にしてみたら、それを探すのに歩くことだって、かなり負担でしょう。視覚に障害がある場合にも、別の道の案内というのが、充分になされているとは、思えません。

精神的病を患っている方にとっては、この不安な状況が続くということは、それだけで、大変な試練だと思います。自閉症の人々は、毎日決まったスケジュールで、生活することがとても大切ですし、「いつもと違う」ということに、とても不安になるものです。彼らは毎日同じ時間に電車にのって、学校なり勤めに行って(作業所などのことが多いでしょうが)人によっては、お昼に同じお弁当を毎日食べないと落ち着かないという人もいます。以前勤めた職場に、自閉症の方がいて、毎日オリジン弁当を買って食べていたのですが、近くのオリジン弁当が閉店してしまい、彼は自転車にのって少し遠くのオリジン弁当まで買いにいっていました。今、毎日していたことが、出来なくなっている方も多いことでしょう。

ここに書いたすべてが、マイノリティーのお話です。ひとつになる為に、そして共に生きる為に、想像力をはたらかせたいです。 

国だったり、都だったり、そのレベルで望めないのであれば、これを読んでくれたあなたが、明日出掛けたどこかで、私が書いたこういった人々とすれ違うことがあった場合、なんらかを感じてもらえれば。

ちなみに、「障害者」という言葉がありますが、「内部障害者」という言葉があります。つまり、心臓だったりという内蔵に障害を持っている人。この人達は、杖も持っていませんし、車いすに乗っている訳でもないので、目に見えて周囲からはわかりません。たとえば電車の優先席、「あれ?若者が座ってる。」って場合,もしかすると、その人がそういう、目に見えない障害をもっている場合もありますし、反対に優先席付近で立っている若ものであっても、本当は席を必要としている場合もあるということ、そして、特に若い人の場合、なかなか「席譲ってください」と言いずらかったり、反対に座っている場合に「あ、若いのに座っちゃって」と見られて、場合によっては、「君、若いんだから立ちなさい!」と言われて傷ついている人もいることをお伝えしておきます。
私も、心臓の手術をした身ですので、この対象ですが、その中で、「ハートプラスの会」というものを見つけ、何度か活動にも参加しました。ご興味があれば、その会のサイトご覧下さい。
http://www.normanet.ne.jp/~h-plus/

「目に見えない障害」という意味では、聴覚障害というのもそうですね。彼らにとっては、情報を得にくく、今回の震災でも、それを不安に感じていることと思います。

現在、「障がい者」と害をひらがな表記にする傾向にあるようですが、あえて、漢字で書きました。漢字から、ひらがなにすることより、呼び方を考えるより、皆に、その人達が具体的に何が不自由で、どのようなサポートを必要とするのかを知ってもらう事が、大切だと思ったので。

これを読んでいるあなたが、何らかのハンデを持っている方だったら、自分のハンデについて、公に話すということが、とても勇気のいることだというのは、私もその一人として理解しています。なので、皆が皆、同じように大きな声でそれを説明できなということも理解しています。だから、皆に声を上げる事や、カミングアウトを強要はしたくないし、しません。

でも、声を上げられるひとは、声あげましょう。「仕方ないか。我慢するしかないんだ」とはじめから思ってしまうと、実は説明すればわかってもらえる、解決できる問題が、そのままになるということだから。多分弱くない人々は、その経験がないから、わからないことがあるんだと、「その人には、楽々昇れる階段が、どう、シンドイのかは、身体で理解することは難しいんだ」と想像しながら。

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