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悲しみをぶっとばせるのか? [徒然なるままに]

東日本大震災。
まだそのまっただ中に私たちはいますね。
2週間が過ぎ、今まで経験をしたことのない量の悲しみと、不安を日本にいる大半の人、そして海外にいる多くの人が、感じていることでしょう。日本人でなくても、日本に住んでいる人を私も何人か知っています。彼らは私と同じように悲しみ、不安です。海外にいても、日本人なら、家族は日本にいるでしょうし、何らかの形で日本に接点のある人は、同じように心を痛めています。

一番の悲しみは多くのいのちが、失われたことです。

私は、またもや、「助かっています」。
どういう意味かというと、私は2度にわたり心臓の疾患で「いのちの危機」を経験しましたし、2年前に、別の名前にちょとインパクトのある病気を診断され、薬を飲んで命をつないでいます。
一度目は手術で助けられました。 2度目も病院での治療で助けられました。そして、3度目も、薬によって、2年間助かりました。 その度に、辛さや、悲しさ、沢山経験したのですが、一度目に助かってから、2度目の危機まで、楽しいことも沢山あり、好きな人にも沢山。。。てほどじゃないにしても、出会いました。2度目に助かってから、3度目の危機までも、そう。その度に仕事も変わりましたが、もちろんイヤな思いもしていますが、今はやってよかったと思っていることが、殆どです。いや、むしろこう考えています。今まで助かったのは、何かの力が「私にもうちょっと違う経験をせい!」と仕組んでのことなのかと。

今回何故私でなく、違ういのちが沢山失われてしまったのか。それを誰かが仕組んだのか?それは私にはどう考えてもわかりません。ただ、ひとつ言えるのは、いのちの長さは平等でなく、そして、どのいのちにも終わりがあるということ。

いままでの危機と今回が違うのは、今までは私一人のいのちの危機であったものが、今回に関しては、「まわりの皆」の危機であるということ。正直これキツイなと感じています。

今、まだ混乱して、まとまらない頭の中で、しようとしていることが、二つあります。

ひとつは、とにかく、先を考えると、果てしがなくて、不安がつのるだけなので、短期的な目標をもって、短期的な計画で行動しようということ。次の日の朝ご飯のことを考え、明日しなくてはいけない、仕事のことを考え、もらったメールやツイートやmixiなどなどに、レスしようとか、何かこうとか。そして、もうちょっとだけ、先の計画として、桜の花見たいなとか。

もう一つは、自分の憂鬱を意識的に、表に出そうかなということ。今回の悲しみや不安は、あまりにも大きくて、多分この感情を我慢していることで、ずっとコントロールしていくことは、難しいような気がしているのです。だったら、少しずつ、その心の圧力を抜く作業として、たまにそれを言葉にするべきかなと。

2週間。未だに、一時的な安心すら得られていない状況ですね。切なる願いは、今日より明日、明日より明後日に、一ミリでも安心に近づいたのだという実感を得たいということ。ひとつ具体的に言うなら、原発の問題の「収束へのシナリオ」が、様々な人と国の力で、できあがりますように。シナリオは、その度書きかえていくもので、かまわない。多くの人は、まずは、そのシナリオを読むことで、判断ができたり、安心ができたりするものじゃないかなと私は思う。

まとまらない頭で、今、私が考えている事。

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