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Bay City Rollers starring Les McKeown [ちょっとしたイベントだ!]

12月14日と15日 私が洋楽を聴き始めるきっかけになったバンドのヴォーカリスト、Lesがあらたなバンドを率いて来日。私の若かった頃の細胞に染み付いている、曲の数々を堪能してきました。

二日間同じ来日アーティストのライブを見るのって、前回のポールの時以来、というか、その2回だけです。

これを読む方の中には、14日だけ、だったり、15日だったり、そしてその前の公演を見たという方もいるし、大阪で、これから、という方もいらっしゃるので、あくまで、私が聴く事ので来た2日間の中で、違っていた曲をご紹介

14日に演奏され、15日に演奏されなかった曲
1.Money Honey
2. Dedication
3.新曲 (すみません。Killing the Blues ?晩秋の歌(笑)
4.My teenage Heart
5.You're a woman
6. Daydream Believer
7. All of me loves all of you
8. It's a game

15日に演奏され、14日に、演奏されなかった曲
1. The Bump
2.Have I the right
3.Love me like I love you
4.Rock'n'roll Love letter
5.The way I feel tonight
6.Let's go
7. 新曲 Connection
8. Keep on dancing

ご覧になってお分かりの方はお分かりの通り、15日の方がちょっとマニアックだったように思います。曲順はまったく私の思いついたままです。演奏順ではありません。ご了承下さい。

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両日とも、バグパイプの Scotland the Braveが流れる中の、We want Rollers.
しかもね、流れていた、この曲のベースがめっちゃかっこ良かった!
彼のトークの端々からも、スコットランド人であることの、誇りをヒシヒシと感じました。
「イギリスで、デビューした頃、僕らは英語を話せなかった。スコットランド語しか話せなかった」
って、そんな話からも、むしろ、誇りを感じました。「僕らがタータンを日本に広めたんだ!」てなことも言っていましたね。タータンは、その前から、日本にもあったし、私の母も好きだったと言いますが、でも、今でも、AKBの衣装が、ああである事は、ひょっとしたら、ローラーズがなかったら、なかったかもしれません。

レスは本当に素晴らしいシンガーです。まず、あの声が、ローラーズ成功の大きな要因なのは、間違えないです。

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ローラーズのコンサートは、伝統的に(笑)ファンが歌います。レスが歌わせるのが、うまいんです。
で、もう30年とか昔の歌を、不思議と覚えています。皆、口々にそう言っていました。そうそれに、きっと歌いたくなるマジックのある、楽曲の数々なんですよね。

Saturday nightは、やはりMagic Wordです。不思議です、あれを言うだけで、ワクワクしてしまうのですから。

Don't let the music die

15日のコンサートの時に歌い終わって。
「実際、音楽は死ななかったよね」
というような事を、言っていました。 ジーンときました。

私が、とても嬉しかった2曲。
14日のDaydream believer
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、私はモンキーズも大好き。
亡くなったDavyへのトリビュートでした。
そして、レスとデイビーには、同じような、エンターテイナー気質を感じます。

15日のHave I the right
こんなん聴けるとは、思っていなかった!
後にマージービートが大好きになった私ですが、なんで好きになったかって、
ローラーズのルーツがそこにかなり近いからだったんです。

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The Bump これが、英国では、当時放送禁止だったそうで、
なんで?と思ったら、どうもBumpには、英国では、強い性的意味合いが、隠語的にあるらしく。
ただのダンスの名前と思っておりました。

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今回の彼の来日を通して、多くの日本のローラーマニアの皆さんとお話することが、できました。
それは、本当に素敵なことだったと感じています。
みなさん Keep on Rollin'!
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Badfinger 9月22日 [ちょっとしたイベントだ!]

Joeyは、10年くらい前、一度見たことが、ありました。
その時、ライブの後に客席に降りてきて、お客さんとお話ししてくれる、
気さくな方でした。彼は、John Lennon のImagineのセッションに参加しています。
そのお話をこの時にしてくれたのをよく、覚えています。あの白いピアノのこととかね。

Badfingerは、その主要メンバーの二人が、もうこの世界にはいません。
それは、このバンドのマネジメントというのが、大きく原因していたとも私は理解しています。
そして、ご本人がどう捉えているかは、わかりませんが、その悲しい出来事を、一番近くで、経験した一人がJoeyです。

オープニングはBaby Blueでした。
その後のBadfingerのナンバーをどんどん演奏してくれました。
残念ながら、ベーシストさんの、日本への入国許可がおりず、
PIKOさんという日本人のベーシストが、サポート。
彼のベース素晴らしかったです!

そんなこともあって、サウンド的には正直にいうと、メンバーとして、完全に満足のいく状況ではなかったと思いますが、とても深い、いい空気が、ライブを通して流れていたように思います。

序盤でまず、盛り上がったのが、Come and Get it
一緒に Sorry!! って叫べて、嬉しかった! そういうお客さんたくさんいました。
ビートルズファンのみなさんに、ここで、申し上げておきたいのは、 この曲の後、 “Thank you Paul!! "" って、Joeyが言っていたことなのであります。(急に怒り新党風になりましたが(笑)
とっても実感のこもった感じで。私はちょっと、嬉しかった。

新曲も数曲演奏してくれました。
とっても、よい曲でした。
タイトル(違うかもしれませんが、)All you ever dream
夢についての曲です。「若い時は、仲間と見ている夢は、一つだと思っているもんだ。
でも、大人になり、お互い、違う仕事、違う家族を持ち、夢は一つじゃないと気づく」
そんな歌で、今の私として、とても頷けるし、聞きたい内容の歌詞だし、歌でした。

もう一曲もKids という単語が入った一曲。(このアバウトな情報申し訳ありませんw) これも、「そろそろ、大人になろうぜ!」というような曲。

今年中にはリリースされる曲のようですので、楽しみにしています。(リリースについては、GIG後、Joeyご自身から、伺いましたよ!)

Badfingerといえば、Without you.
歌ってくれました。
このバンドの背負っていた、運命、どうしても、この歌詞の Can't live....
重ねて考えてしまうのですが、”want to live"の裏がえしなんだろうな。
この曲をJoeyが歌うというのは、それなりに彼としても、覚悟が必要なことなんじゃないかと想像します。 それもあって、ウルッときました。

後半に入って、ちょっとギターのチューニングの問題があったりしたのですが、
そんな中で、キーボードの方が、Imagineのイントロを弾き始めました。

冒頭でお話したように、Joeyとこの曲は私の中で、強くリンクしているものの、
まさか、聴けると思っていなかったので、とても、嬉しかった。
贅沢じゃないですか。 あの歴史的セッションに参加した、人が、東京のライブハウスで、
これを歌っているんですよ。もちろん会場のお客さんも歌いました。

Midnight Callerは、ピートが彼女に書いた曲とのこと。
ちょっと、シンミリです。

そして、No Matter Whatは、大盛り上がり。

アンコールでは、スローダウンを演奏してくれました。

GIG後は、お客さん達にサインと写真撮影にも応じてくれました。

日本滞在は、おそらく、一週間未満のあわただしい、ツアーだったけれど、
本当に来てくれてありがとう! 素敵な時間を過ごせました。

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CMLデーに参加して [患者としてつぶやいてみる]

9月22日は私が現在付き合っている病気、CML(慢性骨髄性白血病)の患者会がありました。

http://members.jcom.home.ne.jp/firstsight/izumi/pdf/20130922flyer.pdf

参加致しました。

9月22日がCMLデーなんだそうです。なぜ?と私も思っていましたし、私も前回の受診日に

私:「先生、9月22日が、CMLデーだから、患者会があるので、行ってきます。」

ドクター:「そうなんだ。どんなだったか、今度聞かせて下さいね。でもなんで、9月22日って、CMLデーなの?」

私:「さぁ よくわからないでですけど」」
という会話をしておりました。(笑)

この病気の,そもそもの原因に由来がありました。 染色体というものがありますよね。 その22番目と9番目の染色体が入れ替わる(転座)というのが、起こるのが、この病気の原因なんです。
9番目と22番目ってことで、9月22日。 .....とのことでした。 ナルホド。 ちょっと、この病気を説明するネタとして、書かせていただきました。

第一部は、患者さん、患者さんかのご家族による、お話。

印象的だったのは、私と同じように投薬治療をされている患者さんの「どのように自分の病気を周囲に説明するか」というようなお話でした。この病気の日本語(英語でも同じですが)白血病という言葉の重さから、どのように、周囲に知らせるかというのは、大きな問題だというのは、私も感じていることろです。
患者の私としても、日本語名でなく、CMLという言葉を多く使うのは、多少意識的なところもあります。

第二部では、まず前もって行われた、患者アンケートの報告が患者会の田村さんから、ありました。

多くの患者さんは、投薬による治療をしているわけですが、その中で、「治療をやめたいと思った事ががある」と答えた方が、(数字を失念しましたが、)多くいて、その大きな理由あ2つ。
1. 副作用の強さ 2. 経済的理由
です。

副作用に関しては、それを、ドクターにいかに伝え、どう対処していくか、また、薬も、当初1つしか選択肢がなかったが、その後開発された薬も2種類あり、そちらへ移行ということも、考えられ、また、その投薬切り替えの現時点での成功率(つまり、薬を変更したことによって、治療効果が上がり、うまくいった率)が、9割くらいとのお話も、埼玉医科大学の血液内か、木崎先生から、(だったと記憶しています。)ありました。

患者会の田村さんのお話で、印象的だったのが、CURE / CARE というお話。

1文字違いのこの単語ですが、 ドクターは、治すこと(CURE)をめざし、患者は、気にかけてもらうこと(CARE)を欲している。 このベクトルの微妙なズレを今後うめていければというお話でした。

ドクターは、プロとして、病気に向き合い、その病気の治療に真剣に当たっているので、そのことは、私も大変感謝しています。時々それでも、ドクターとしては、基本的は事でも、患者の私にはわからない、というようなこともありますし、「先生は『大丈夫、このまま、薬続けましょう』っていうけど、副作用つらいのに...」というのは、患者の間では、比較的よく訊くお話に思えます。
私は、「この胃のムカムカが、ずっと続くんだったら、この薬の飲み続けたくはないと思いました」ってドクターに言った事ありますけれど。確かに胃の不快感は、服薬開始数日のですぐに治まったので、ある程度の忍耐は患者にも必要だし、実際胃の薬を処方して頂き、今も飲んでいます。また、「足が夜つることで、夜起きることになり、睡眠が妨げられるのが、辛い」というように具体的に、そして、箇条書き的に、ドクターに伝える工夫は、必要かというお話も出ていました。

田村さんの「病気が、服を着て、そこにいるのが、患者ではないのです。PC画面に映ったカルテや、机上のデータが私たち患者でもありません」という言葉、とても共感します。
後半は、カルテ、PCという言葉からしても、ドクターに向けてのメッセージでしょうが、周囲の皆さんすべてに対して、これは、伝えたいなと思っていることろなんです。

病気というのは、その人の中のほんの、一部であって、しかも、たまたま、「後付け」されたことなんですよね。 私がこのブログに患者としてのことだけを書くのでもなく、音楽の話や、アビの話を書いているのは、そういうことなんです。仕事してたり、家族がいたり、趣味があったり、そういうことが、あっての、患者なのです。確かに薬を飲み続けなければ、命を脅かされるというのが、この病気の 現状ですから、それを軽く考えることは、いけないと思うのですが、そのことだけにとらわれているのも、違うと思っています。それを、周囲の皆様に上手に伝える事ができたらと常々感じています。

そうそう、アンケートの中で、「何か困った時に相談するのは、誰ですか?」という問いに、 「ドクター」と答えた人は多数居たらしいのですが、「ケースワーカーさん」「薬剤師さん」といった、病院やその周辺の他の方々を挙げた人は、とても少なかったそうです。図々しいおばちゃんとして、一言、申し上げます。(笑)「使える人は、出来る限り、使いましょう。」特に薬剤師さんの場合、薬の受け取りは、並んで受け取るわけで、他の患者さんが待っているので、質問しにくいの、よくわかります。でも、たとえば、ここでも、メモを渡すとか、「私は、少し待てますので、あとでご相談に乗ってもらえますか?」と断るなど、方法はあると思います。

おそらく、近畿大学医学部の松村先生のお言葉だったと思いますが、近年これだけ、治療成績が向上した病気はないと言っていました。それは、この病気を診断されてから、私が飲み続けた薬グリベック、そして、2年前に変更した薬タシグナ、そして、現在もうひとつ使用されている薬スプリセルの存在による成績向上です。
同じく松村先生の言葉(だったと思います)
CMLを恐れず しかし、あなどらず

肝に命じようと思いました。

そうそう。治療効果あがるのは、きちんと、薬を服用した場合の話。
薬の服用率が90%未満だと、効果が下がるというデータもあるというお話がありました。
毎日毎日、忘れずに飲むというのは、意外と難しいことなんです。
私もですが、患者の皆さんの多くは、「90%は、ハードル高いな!」と感じたと思うんです。フォーラムの後には、患者の皆さんで懇親会ということで、色々な患者さんとお話もできました。
残念ながら、諸事象により(はい、はっきり言いましょう。ライブに行ったんですw)中座する形になりましたが、とても有意義な時間を過ごしました。

最後にこのイベントを企画運営して下さった、患者会「いずみの会」の皆様、そして、ノバルティスファーマの皆様に厚く御礼申し上げます。

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入院から、学ぶ 1 -幸せのアイスコーヒー- [患者としてつぶやいてみる]

ご存知の方はご存知のように、つい最近も私は、また、病院にお泊まりをした。

いくつかの疾患を持っている関係で、それほど、深刻な状況でなくても、
入院する必要でてきたりする身なのだ。

入院というのは、決して楽しいものではないし、する必要がなければ、しないにこしたことはない。
ただ、何度かの入院を通して、私自身、様々なことを、学んだなと思っているのだ。

だから、そんなお話を書いていきたいと思う。

毎回入院は、共同部屋だ。 個室や、もしくは、2人部屋であっても、随分、一泊の料金は変わるし。
経済的にそれは、ムリ。
でも、病状や、その時の精神的状態が許すなら、皆さんにも、共同部屋をお勧めします。
病気と付き合っているのは、自分ひとりではないし、皆、それぞれ、必ず、深く考えて病気と向き合っている。 それは、そうだよね。誰の事でもない、自分のことだから。
そんな患者達が、話すのは、たわいのないことでも、有益だ。

今回、同室だった60代の女性。長期に渡る入院だし、週に1度のちょっと大掛かりな治療が必要な方だ。
もちろん、彼女自身の病気のことを思えば、不安は、たくさんあるかと思う。
でも、彼女は、終始明るい口調でお話する。 長く入院されているので、看護師さんやスタッフの皆さんのこともよく知っていて、看護師さんも時々、彼女のところには、ちょっと長居していた。
看護師さんにとっても、彼女とたわいもないお話をすることが、気分転換だったんじゃないかと感じている。看護師さん自身のご両親のお話とか、看護師さんの学生時代のお話だったり...。

彼女の旦那様が、暑い中、毎日のようにやって来た。高校野球が見たいからって、来なかった日もあったけれど。
必ず、同じお店で、アイスコーヒー2つ買ってやってくる。
そして、ご夫婦で、アイスコーヒー飲みながら、お二人のお友達だったり、お子さんやお孫さんのお話して、旦那様は、帰っていく。

私はその二人の姿に、幸せを感じた。
そう、幸せのアイスコーヒー。

彼女自身がとても素直に色々なことを感謝できる人なんだと感じた。
だから、彼女に対して、周囲の人も、優しい接し方ができる。
その分、彼女自身も病気との付き合いのストレスが少なくなっている。

そんな気がしたんです。

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それでも ふんばっとるとです [アビです]

またまた、ご無沙汰しておりました。
アビです。

お父さんとの命比べ、私が勝ったとです。

目も見えなくなりました。
耳も聴こえなくなりました。

でも、ちょっとだけは、聴こえるし、
ちょっとだけは、明るいとかわかります。

あと、臭いは、わかります。
ご飯の臭いは、わかるとです。

今は、この狭いお家から、でません。
ぶつかりながら、このお家出て、歩いたりしていましたが、
それもあまりしないことに、Kayo達がしています。
でも、ご飯は食べとります。
水も飲んどります。
水は臭いもないけど、なんとなくわかるとです。
新しいお水もらえば、わかるとです。

もう六年は、週一回、センセイという恐い人のところ通っているとです。

暑いですね。 それでも、ふんばっとります。


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A song for you のBCRのイベントに参加しました [ちょっとしたイベントだ!]

父の四十九日もまだなのに((笑)
山本さゆりさん (チャッピーさん)の「BCRの音楽をかけて、BCRのお話をするイベント」に行ってきました。

https://www.facebook.com/bcrchappy

状況的にあまり私自身元気とは言えない中でしたが、参加できて、良かったのかなと思っています。

現地には、少し遅刻して、到着。(遅刻すみません)

ローラーギア来た皆さんが受付して下さっていました。
ここから、タータンハリケーンに、圧倒されたままでしたが(笑)
私自身は、申し訳程度に、タータンチェックのマフラーだけ用意していました。

会場に入る前から、歓声が聞え、すごい熱気でした。
男性のお客様も3割くらいはいらっしゃったでしょうか?
当時のコンサート会場に男性が行く事をかなり躊躇したという話を良く聞くので、
それを考えると、男性のファンが実はたくさんいたんだなと感じました。

来場した人達からの事前のリクエスト曲に応えたり、当時の想い出話が、披露されていきました。
ローラーギアがかっこいい、チャッピーさん。
そして、ゲストは、チャッピーさん同様、当時ローラーズをラジオや本を通して、紹介して下さっていた、大森庸雄さん。
もう一人は、当時の東芝EMIのローラーズ担当をしていらっしゃった、鈴木博一さん。

BCRは、突然にすごい人気になったわけで、そこに沢山のお金が生まれたわけで....という、オトナのお話もありました。

とても印象にのこったのが、チャッピーさんの当時の大変さ。
取材をする側であるにもかかわらず、ローラーズのマネジメントサイドは、彼女が女性だということで、彼女がローラーズに話すことを快く思っていないところがあったようで、
しかも、そんな中で、彼女が苦労して取材した、記事や番組を受け取るファンの側からは、
「チャッピーさんばかり、ローラーズと話ができて、ズルイ!」とう嫉妬から、嫌がらせの手紙を沢山受け取ったと。
確かにファンの層より、少しお姉さんだった、チャッピーさんですが、でも、若かった彼女が、それを受け止めながら、お仕事されていたんだなーと思うと、彼女の強さを感じましたし、
だからこそ、今こうやって、こういう、イベントが開けるのだなと、感謝の思いでした。

大森さんの当時のままの、穏やかな感じも懐かしかった。
「黒電話」「フィルムコンサート」「ペンフレンド」といった、懐かしいワードに
反応されている彼が、なんだか面白かった。

チャッピーさんが、紹介してくださった、当時から、ローラーズ ファン同士で、
文通をしていた、お友達のことを、書いてきてくれた方のお手紙は、心に響きました。

ネットのなかった、当時は雑誌に「ペンフレンド募集」というのをのせることができ、
「この人と、お友達になりたいな」と思うと、お手紙を書いて文通をしていたのですが、
そうやって、お友達になった人と大人になって、メールを使うようになっても、
時々は連絡をとっていた。ところが、お友達が、突然、脳の疾患で倒れてしまったというお話でした。

お友達は、脳にダメージを受けてしまったため、言葉を発する事もむずかしく、
記憶もダメージを受けているとお母様から、聞いていたので、お見舞いにいくのには、とても勇気が必要だったようです。 でも、彼女のことは、しっかりわかったようで、
「ローラーズのコンサートとかも一緒にいったんだもんね」というような問いかけにも、
反応をしてくれたというお話。若い頃の記憶というのは、とても脳の奥深くに刻まれているんだと感じました。

あの頃のティーンエージャー。それから、40年ちかく生きてきているわけなので、
皆さんそれぞれ、色々たいへんな事も、経験しているはず。
仕事、結婚、育児、介護、病気...近い人との別れ...。

さて、後半では、きっと、会場に来ていただろう、空から、八木誠さんの声の参加もありました。
八木誠さんに関しては以前記事を書いていますので、こちらを。
http://merseybeat.blog.so-net.ne.jp/2011-07-02
大森さんと「輝けベイ シティー ローラーズ」という番組のパーソナリティーをしていらっしゃいまいた。彼の命日近くにこういうイベントがあったのも、なんか、彼の力を感じます。

その後、わりと最近のBCRのメンバー映像を紹介してくれました。
Woodyは、とても素敵なオジサマになっていたし、
Ericは、ギター一本で、とてもカッコイイ音楽やっています。

最新の映像としては、Leslieが凝りに凝って(笑)作成してくれた、英国人のユーモアーのセンス満載の、Video。
私はイギリス人のユーモアー大好きなんで、楽しかったです。
もしかしたら、日本でライブ今年中にやってくれるかも?
そうなることを、心からお祈りしています!
最後にQ&Aセッションがあって、Duncanは、どうしてる?ってお話になりました。

さぁ、ここからがどっちかと言えば、私が書きたかったところ!!(そこかい!(笑)
Duncanは、今、Beatlesのトリビュートバンドで、ジョン係しているんですよ。
あ、もちろん、オリジナルもやっているようなんですが。
で、2年前(っていってらっしゃったかな?)実はライブを日本で行っているんです。
そのトリビュートバンドで! 
そのライブにいらっしゃったという方からの情報でした。

これは、私は知らなかったので、「わぁー! 知っていたら見に行ったのに!」..でした。
また、是非来て欲しいな。
あのお店(笑)で、演奏してもらえないもんだろうか?

その後、懇親会にも参加させていただき、東芝EMIの鈴木さんに、彼が考えて下さった、ローラーズの曲の邦題が、いかに素晴らしいかというような話や、(「青春に捧げるメロディー」「ハートで歌おう」、など彼が考えた邦題だそうです。)その後私がマージービートが大好きなって、Patや、Ianが、サーチャーズや、Peter & Gordonをカバーしていたというようなお話を聞いていただいたり(笑)大森さんに「バスターも大好きでした。」というお話を聞いていただいたり、して、帰ってきました。

ローラーズのメンバーも、それをプロモートしていた、皆さんも、そして、ファンの私達も、
長い年月が経ったわけですが、こうして集まれるというのは、素晴らしいことだったと思います。
そして、それは、多くのスタッフの方の尽力によるものだとよく、理解しています。

改めて、ここにお礼申し上げます。

Keep on Rollin' Rockin' on!
Lots of love xxx
Kayo

CD Jounalの記事を参加者の一人が書いた記事が掲載されています。
ご紹介させていただきます。

http://www.cdjournal.com/main/news/bay-city-rollers/52288


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a song for you 軽音楽をあなたに...をもう一度 [ちょっとしたイベントだ!]

遅くなりましたが、チャッピー(山本さゆり)さんのイベントに、
12月1日、参加しました。

「軽音楽をあなたに」は、私が学生時代NHK FMで、放送されていた番組で、
学校から、帰ってきて、ラジカセで聴いて、好きなアーティストの特集のときは、
「エアチェック」をしていました。

若い方々が、これをお読みになる可能性があるので、この言葉に解説が、
必要と思います。(笑)
エアチェックとは...カセットテープに録音をすることです。そうCDではなく、テープですよ。
FMでは、曲を最初から最後まで、途中にお話を入れることもなく、放送してくれることが、
多かったのです。
当時はTsutayaもありませんでしたし、「貸レコード屋さん」が、あったとは、思いますが、
それでも、お小遣いで、色々なレコードを買うのは難しい。
だから、カセットテープにそういうFM番組を録音していた。
それが、エアチェックなのです。

と、エアチェックの話に何行使っているんでしょう。私(笑)

今回のイベントは、その番組のパーソナリティーだった、山本 さゆりさんと水野 美紀さんと、滝 雅子さんの3人がそろって、想い出の曲、当時の番組制作のエピソードなどをお話して下さいました。
事前にリクエストを受けつててくれて、それにも、応えてくれました。(私はドタンバ参加だったため、リクエストは、出来なかったのですが)

まずは、お店のオーティオが素晴らしくて、音が良くて、感動でした。
オーディオのことは、詳しくない私でも、わかる、音の良さでした(笑)

そして、パーソナリティー3人が、チョコチョコっと、打ち合わせをしながら、
「番組をすすめていく」様子が、プロフェッショナルだなーと、思いました。
後半では、当時の放送を、録音した方が、その音源を提供下さり、当時の放送も少し聴く事が
できました。 感動!

私としては、10月のAT40のイベント(http://merseybeat.blog.so-net.ne.jp/2012-10-14
でお会いした皆さんと再会でき、また、初めて、今回お会いできた、ローラーマニア、音楽マニアの
皆さんとお話できて、本当に楽しかったです。
ローラーマニアの方々とは、ローラース関係の曲がかかるたびに、
当時のノリで、喜んで、あの頃の脳細胞が、憶えるつもりなく、自然と憶えた歌詞を
くちづさめるのは、楽しかったです。

後半には、プレゼント抽選だったり、イントロクイズだったり。
私は、大好きな七味家の七味
唐辛子!実は私、七味、こよなく愛していまして(笑)
パーソナリティーの滝さんが京都のと出身ということで、用意いただいたものです。

2次会にも参加させて頂きました。
パーソナリティーの皆さんも参加下さり、私は滝さんと水野さんのお席の近くで、色々なお話をお聞きできて、とても楽しかったです。
正直に申し上げれば、当時私が聴いていたのは、チャッピーさん(山本さん)の担当日がメインで、
そのような者の、「放送のお仕事をするようになったきっかけは、どのようなことだったのですか?」
などという、とてもベーシックな質問にも、とても丁寧に答えていただき、嬉しかったです。

さて、今回のイベントで、個人的に嬉しかった一曲



あ、この曲リクエストされた方が、今の奥様に送ったカセットテープの中の曲。
この曲がきっかっけで、と付き合いはじめられたというお話だったかと。
ステキ。

私はこの曲を誰かに贈ったわけでも、贈られたわけでもなく(爆)
当時受験勉強中だった私が、ラジオから、流れてくるこの曲を、
はじめから、最後まで、ちゃんと、歌詞が聞き取れたと思ったんですね。
それが、とても嬉しかったのを憶えています。これが、「言葉が聞けてる!」と思った
初めての英語の曲。
もちろん、この歌詞の単語は、かなり易しいのですが、嬉しいもんなんですよ。
そーゆうのって。英語学習者には。

このイベントで、お会いした皆様! 本当に楽しい時間を本当にありがとうございました。

Keep on Rollin' Rockin' on !
チャッピーさんのこの、キメゼリフ、ものすごく、憧れていました。(笑)

写真は、私が「軽音楽をあなたに」を聴いていた頃の,宝物。
と、今回全員へのプレゼントとしていただいた、紅茶とクッキー。紅茶大好きなので、これも嬉しい!大好きなアッサム!

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ヘルプ マーク (Beale ネタではありません(笑) [患者としてつぶやいてみる]

東京都限定の話で恐縮ですが、

このマークご存知でしょうか?
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http://www.jidp.or.jp/dn/ja/article/20121030/194

都営地下鉄線で、優先席付近にこのマークのシール貼ってありますし、ポスターの掲示も始まりました。

私自身この存在を知って、駅の案内所に行って、このマークいただ来ました。
特に何かを提示して、私が心臓の疾患、および、血液の疾患を持っているという証明をする必要もなく、駅員さんに「もらえますか?」ときいたら、すぐに「どうぞ」ともらえました。
(ちょっと、それも、問題かな?と実は思っていますが)

私がこのマークをバッグに付けはじめて一ヶ月くらいでしょうか。
2人、このマークを見た上で、席を譲って下さった方がいました。

患者の間で、どのくらい、このマークが広まっているかも、よくわかりませんし、
導入間もないので、まだこれから、広めていく必要はあるのかと考えています。

さて、このようなマークだったり、たしか、都営地下鉄では、優先席の席数も増やしますというポスターを見かけていますが、最終的には譲って下さる方がいなければ、意味がありません。

この、ブログ読んでいただいた方、機会があれば、優先席付近の風景を観察してみて下さい。

健康な方であっても、寝不足した日の朝は、シンドイのは、同じで、残業した日は疲れて、寝て帰りたいのは、よくわかります。

しかし、今までも、杖を使っている方が、席を譲ってもらえずに転倒してしまった、現場を見た事があったり、「お腹に赤ちゃんがいます」マークをバッグにつけている、女性が、優先席付近で立っているのを、見かけたことが何度かあります。 

皆が、自分のことで、一生懸命で、余裕がなくて、周囲を気にするということが、よく起きているのは、確かかと思います。優先席で眠っている方、携帯電話、または、ゲーム、または、本から目を離さない方の率はトータルすると、非常に高いです。

私は、「健常であれば、常に席を譲れ」とか、「立っていてくれ」と言うつもりは、全くないのです。ただ、 皆が少しずつ、優先席を必要な人の存在を気に留める率が高くなっていって、欲しいとは考えています。

特に携帯電話を優先席付近で、使用する人の率が、下がってくれたらなと、感じています。
車内での、表示としては、携帯電話はオフにするように掲示があるはずですし。
確かに、そこで、携帯をオフにする作業は、面倒かもしれませんし、せっかくの時間有効に使いたい思いも理解できますが、私は、優先席の付近では、バッグに携帯をしまっておくということには、しています。仮に優先席にペースメーカーを埋めている方がいた場合、その方は、近くの人が、携帯を使っているのを、気持ちよくは思えないし、かといって、「すみません。ちょっと携帯使わないでもらえますか?」と切り出すのはとても、勇気の必要なことだと、思うので。

少しずつ、車内弱者に対する理解が深まり、一人一人が少しずつ、優先席周囲での配慮をする時間を増が増えてくれたら、私は有難く思います。

生き物として、「私は助けを必要としています。弱いです。ご迷惑をおかけします」ということを意味している「ヘルプマーク」をバッグに下げる事は、決して嬉しいことではなく、このような事を、ブログにアップするのも、楽しいことでは、ありません。ただ、当事者が言わない事には、広まらないと思うので、このマークのことのご紹介とともに、大分、愚痴らせて頂きました。

また、東京都以外でも、車内弱者と呼ばれる方が、電車を少しでも、気持ちよく利用できるようになることを、願っています。


ラジオの贈り物 [ちょっとしたイベントだ!]

まず、私のこのブログのはじめの記事です。

書くこと困って、こんなこと書いてました。(笑)

2005年のことです。

http://merseybeat.blog.so-net.ne.jp/2005-03-17

この年の2月に入院し、療養を余儀なくされたので、ブログでもやろうかな...ということだったんだと思います。 はっきり書いています。「最近はラジオを聞かなくなった」と


その後ネットを通して、そのDJの皆さんの今の活躍を知ることになっていきます。

2012年10月13日
全米トップ40のこんなイベントに参加しました。
http://y-staff.co.jp/?p=2725

湯川れい子さん、坂井隆夫さん 山本さゆりさん、今泉今泉圭姫子さん、矢口清治さん、そして大高英滋さん。
まずは、番組が、どのように日本で放送されることになったか、また、どのような苦労があったかというようなお話を沢山伺えました、湯川さんのお話の中で一番印象に残っているのが、プロヂューサーの岡田三郎さん(故人)がとても偉大であったこと。 アメリカで放送された、もののテープを元に政策していた番組ですが、当時の輸送事情により、日本側放送の当日にもテープが届かないということもあったようです。
そして、その場合、過去の放送から、使える部分を使い、編集でなんとか、カバーするというご苦労をされていたということでした。

その後歓談タイムでは、我らがローラーマニアのお姉様、チャッピーさんこと山本さゆりさんが、私たちの席でお話して下さいました。私は、中学時代「チャッピーさんみたいに、英語が話せるようになりたい!」と思っていた、憧れの人がお話したり、一緒にゲームをしているのが、本当に嬉しくて。

1980年代後半に大学生になり、通学に時間もかかり、多忙だったこともあり、ラジオから離れてしまった私です。 就職してからも、その多忙さは、変わらなかったので、ラジオからは、そのまま遠ざかっていました。

1990年代に入って、それまでも、好きだったけれど、全曲は知らなかった、ビートルズにあることをきっかけに夢中になっていくわけですが、それでも、ラジオは聴かなかった。むしろ、トリビュートバンドを見る事に忙しかったから。そして、うっかり、かなりの年をとったわけです。(笑)

ネットで、懐かしいDJさん達の名前が目に留まるようになて、多分まだ、一年経つかどうか。
しかも、AT40というのは、チャート番組で、熱心なリスナーさんは、それをノートに毎週記録していたりしたのですが、私はそういうことをしていた訳でもなく…
そんな私を、暖かく迎えてくれた、ネットを通じて知りあった、AT40リスナーの皆さんに深く感謝いたします。アーティスト名、曲名を聴いて、「お互い、目がFacebook式にいえば、「いいね!」マークになる感じ。楽しかったです。
二次会に居酒屋でも、その「いいね!」の感じは続きました。

そして、当時制作に携わり、今でも、放送に携わっている参加された湯川さんをはじめとする6名の皆さんが、当時どんな思いで、私たちに伝えてくれていたのかを感じることができ、また、今でも、同じ気持ちを持ち続けているといいことに大きな感謝を感じています。 中学時代にこの方々に出会い、そして、その方々がブレずにいてくれている、ということは、私にとって大きな幸運です。

生きていれば、色々あるけど、地面にちゃんとアンヨをつけて、星に手を差し伸べて…

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ふんばっとると [アビです]

アビです。

一部の方には、ご心配をおかけしていたかもしれません。
大変ご無沙汰しましたが、 ふんばっとるとです。

春頃は、まだ、寒くて、おしっこがよく赤くなったとです。
お医者さんに、お泊まりもしたとです。

暑くて暑くて大変だったけど、夏は、ふんばったとです。

好きなものは、食べる。 食べられるだけ、食べる。
嫌になったら、やめる。

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眠かったら眠りたいだけ眠る。
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そんな感じでふんばっとります。

ずっと、おしっこをトイレ以外で、しちゃうって、Kayo 達が怒ったけれど、
それはトイレが、深くて、入るのが大変で、イヤだったとです。
病気で身体が辛かったとです。
春頃からは、段差のないおトイレが私のお家の中にあるので、ちゃんと、そこにできるとです。
猫だって歳とったら、バリアフリーが必要とです。

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そんなわけで、私はふんばっとるとです。
お医者さんには、1週間に一回いっとるとです。

先生といつも、闘っとります。

皆さんも、必ずお元気で。

Kayoは、矢口さんのこの言葉が大好きとです。

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